歴史資料委員会、母校の「校史教育」に参加して(2008.5.28)
母校の「校史教育」に参加して
母校、神奈川県立横浜平沼高等学校の前身である神奈川県高等女学校は、
西暦1900年に神奈川県で初めての県立女子中等教育機関として創立されました。
そして翌年の1901年に「神奈川県立高等女学校」として開校し、
以来「神奈川県立横浜第一高等女学校」、「神奈川県立第一女子高等学校」
「神奈川県立横浜平沼高等学校」と名称は変更されたものの、
2000(平成12)年には創立100周年を迎え今日に至りました。
本校の歴史はそのまま20世紀の歴史とともに歩んできたことになります。
そこで、本校では、生徒が自分の学校の歴史を学ぶことを通して平和と戦争を
経験した激動の20世紀という時代を学び、しいては日本及び世界の歴史にも関心を
持ってほしいと期待して「校史教育」を教育の柱の一つに据えています。
学校の特色として「校史教育」を行うことは、創立100周年の前年から
始められましたが、2003年に「歴史資料展示室」が開館してからは
毎年1年生全員が教室で学校が編集したテキストを使って行う座学と併せて
「歴史資料展示室」を見学します。
その際に真澄会の歴史資料委員が中心となって協力をしています。
今年も、5月28日(水)の3・4・6校時と5月29日(木)の
1・3・4・ 6・ 7校時を用いてクラス毎に「校史教育」の時間が設けられました。
歴史資料展示室では中村英信担当副会長が初めの挨拶で、校史教育が
なぜ行われておりるのかを説明(下の写真)した後に、それぞれの資料には多くの
メッセージが隠されているので、一つでもよいから自分の興味を引いたものについて
問題意識を持ち帰ってほしい、例えば、「何故ここ岡野にある学校の名前が平沼高校なのか」、
「校歌の初めが何故荒城の月と同じ旋律であるのか」等の疑問が問いかけられて
資料室の見学が行われました。
生徒たちは20分ずつ交代で資料室の展示物を熱心に見たり、説明役の歴史資料委員に質問したり、
中には熱心にメモを取っている生徒も居りました。
私も今回担当理事の一人として参加をして校史と校史教育の意義を知る機会を得ました。
(地葉記)
(参考:「県立高女から横浜平沼へ」母校校史整理委員会編)