2020.10.14 石川(小泉)朝子さん(48期)のご家族からのメッセージ
石川(小泉)朝子さん(48期・故人)のご家族から、朝子さんが生前に話しておられた母校への思い出などが詰まったお手紙をいただきました。同窓生の皆様と思いを共有しようと、当ホームページで紹介いたします。
真澄会 事務局御中
「母への思いと在校生の皆さんへ」
令和元年8月12日、母は91年の人生の幕を下ろして旅だった。昭和2年に横浜で生まれて第二次世界大戦をくぐり抜けて薬剤師の資格をとり仕事をした後、母となり2人の息子を育てあげた。父が銀行員だった関係で横浜から東京、そして福岡の博多、山口の下関にも住んだ。なじみのない土地で育ち盛りの息子を育てながら幼い時から学んだ書の道に邁進し書道師範をとりたくさんの書道展に入選し書道の仲間もたくさんいたようだ。
長男である私は同居の時間も長く母と話しをする機会が多かったが、よく話題に出て来たのが昭和15年(1940年)「県立横浜第一高等女学校」(以下高女)の話しであった。当時、栗田谷小学校から高女に進んだのが母を入れて3人程度だったようで、仲のよかった友人の話のこと、先生のことも懐かしそうに話しをしてくれた。母は高女から本来は国文学の道へ進みたかったが戦争の影響で望みがかなわず共立薬科大学へ進んだ。母がよく私に話しをしたのが、「あなた達は勉強をしたいのであれば自分の進みたい道へ行ける。私達の時代は食べるものも大変で自分のやりたいことを我慢しなければいけないことがたくさんあったのよ。今の人たちは幸せだよ。」だった。
自分達が恵まれていること、当たり前だと思うこと、それは違うということを、母がいなくなり今年に入り新型コロナウイルス感染が世界や日本に拡大し今までの生活が大きく変化して痛感する。母が自分に言ったことが今身にしみる。
現代はネットワーク社会で便利になっているが、まずは当たり前の生活が出来ることの感謝や家族のみならず母がいた病院、介護施設などで懸命に働いている人たちなどへの感謝する心、思いやりを忘れないようにしたいとあらためて思う。
在校生の皆さん、これからの時代はこれまでの生活様式や価値観が変化する時代だと思う。人生100年時代、「今日と同じ明日はない。」などとも言われが、おじけづく必要はない。
たくさんの誇るべき先輩が学んだ伝統ある平沼高校で学んでいる誇りを持ち日々自分にとりいい時間を過ごして欲しいと思う。
石川文夫(長男)(大学法学部客員教授)