母娘で同窓生、飯田(丸田)早苗さん(71期)より、お母様の丸田冨子さん(40期)や高校時代のエピソード

飯田(丸田)早苗さん(71期)より、お母様の丸田冨子さん(40期)のお話や高校時代のエピソードが届きましたので、紹介させていただきます

71期31組の飯田(丸田)早苗です。


母、丸田冨子(40期33組)が、2023年12月6日に永眠したのでご連絡いたします。
事務処理のほど、よろしくお願いいたします。

余談になりますが、母の遺品の中に「女学校の思い出」という手帳があり、卒業時に先生方からいただいたお言葉が残っていました。
その中に、綿貫先生(綿ちゃん)の一言?がありました。
現物は母と一緒に荼毘に付しましたが、スマホで写真を撮ったので添付いたします。
母にとっての綿ちゃんは、学校出立てのおとなしい先生だったとか…。
私たちの知っている白髪頭の綿ちゃんより、年を重ねている自分に驚きを禁じ得ません。
これからもしっかり生きていかねばと思います。

母にとって第一高女時代は本当に幸せで誇りに思えるような時だったようで、認知状態が悪化しても、私が女学校時代の親友の名前を出すと、うれしそうにたくさんの思い出を語ってくれました。

親友ではありませんが、同期に生物の河野先生(うてし)がいたこと。小学校は違うけど家が近所だったので遊びに行ったことがあることなど、聞いたことの無いような話も聞かせてくれました。(数学の蓼沼桃子先生も同期です)

意識が混濁し、呼びかけにも応えることが少なくなってしまった時に、耳元で校歌を流したらパチッと目を開いてくれました。
Youtubeに校歌を載せてくださったこと、本当に感謝しています。

と、母と第一高女の思い出は尽きません。
今思えば、母の言いつけ通りに平沼に通ったことが何よりの親孝行だったかと…。

改めまして、
HP掲載の件、母の供養にもなるかと思います。
喜んでお受けします。

真澄会のLINEやHP、楽しませていただいています。
これからもよろしくお願いいたします。


飯田(丸田)早苗

真澄会事務局スタッフより
お母様のご逝去のご連絡、ありがとうございました。
また、貴重なエピソードやお話、そしてホームページへの掲載も快諾してくださり、感謝いたします。
心よりお母様のご冥福をお祈り申し上げます。

2024年01月16日