見事に4度目の優勝!!―野球部OB会 |
|||
見事に4度目の優勝!!―野球部OB会 |
|||
〒220-0073 横浜市西区岡野 1-5-8 横浜平沼高校内 jimukyoku@masumikai.org (045)311-3356
見事に4度目の優勝!!―野球部OB会 |
|||
見事に4度目の優勝!!―野球部OB会 |
|||
野球部OB会ツースリークラブ試合報告 |
|||
2018年10月28日(日)、平沼グラウンドにて、ツースリークラブ(県立五校野球部OB会友の会)の試合が行われました。 当日は、好天に恵まれ、OB選手たちとともに現役生などもサポートや運営に加わり、熱戦が繰り広げられました。 結果、平沼は翠嵐に2-4で敗れましたが、参加者の交流に盛り上がりました。 ツースリークラブでは、参加者を募集中です。ご希望の方は、真澄会までご連絡ください。 |
|||
2015年のタウンニュース記事は、こちら |
「ツー・スリー・クラブ設立」野球部OB会 会長 早福久雄(57期)
平沼高校野球部は、昭和25年男女共学になった年に即創立し、58年の歴史を持つ。
神奈川県の高校野球は、毎年私学が圧倒的な強さを誇っており、
その全国屈指の激戦県にあって、平沼も58年の伝統の中で、新聞紙面を賑わした年が何回もある。
昭和27年、第2回県高校選抜大会「準優勝」(今は無い)。
昭和31年春、横浜市大会「準優勝」(今はない)。昭和31年ベスト8。
昭和32年もY高に勝って、2年連続ベスト8に勝ち残っている。
しかも、その頃も部員は、毎年10数人で3年生が抜けた秋の新人戦は、
他部から人を借りてベンチに座ってもらい、ゲームを成立させていた。
部員不足に悩まされるのは、今も昔も変わらない。その分1年生も含め一人一人の責任は重大。
練習の厳しさは半端ではなかった。私は、大学も4年間野球部にお世話になり、
神宮の土を踏ませてもらったが、その大学野球のキツイ !練習についていけたのも、
平沼の練習が土台になっている。当時の監督、コーチに深く感謝している。
また、故佐藤秀三郎校長への感謝は、今も消えない。
その後、平沼は、昭和63年にベスト16に残って以来早いうちに姿を消している。
平沼高校の男子入学者が激減している昨今、部員不足に益々拍車がかかるのではないかと危惧している。
タイトルの「ツー・スリー・クラブ」の意味は、神奈川県は、戦後甲子園出場の県立高校は、
湘南と希望が丘の2校だけで、Y校(横浜市立)以外は全て私学に席券されている。
そこで、昨年10月、第2回かながわ校歌祭の折、戦前からの横浜市内の県立高校(戦前は中学)の
希望が丘、翠嵐、緑ヶ丘、高女の平沼、立野の5校野球部OB会の交流の会を設立したいという話しが持ち上がり、
設立準備委員会がスタート。各校OB会総会の承認を得た上で、今年6月20日、
「県立5校野球部OB友の会」通称「ツー・スリー・クラブ」が設立された。
「ツー・スリー」とは、一女・二女の高女。一中、二中、三中の男子校の5校の意味と、
野球のフルカウントの意味をもじったものである。
目的は、OB会相互の交流(野球の試合や情報交換等)と将来的には、
現役選手への広範な支援や定期交流戦などを通しての県立高校野球部の力の底上げを行っていく。
いずれにしても、県立高校の運動部は、色々な制約の中で活動している訳だが「だから強くなれない」などと言うのは、
言い訳に過ぎない。現役選手諸君は、練習で汗を流して欲しい。そして試合で達成会を味わって欲しい。
必ず、それぞれの宝物として残っていきます。
ちなみに 昨年の甲子園全国優勝校は、決勝戦で、甲子園常連校、広島の広陵高校を破った、県立佐賀北高校である。