百年史
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百年史について
事務局からの伝聞では、百年史は、歴史資料員会が作ったのではなく、田中貞二さんが作った、と聞いています。田中さんは、歴史資料委員会の所属ではなく、事務局がHPを立ち上げるとき、百年史を書いてくれた方です。
明治
明治33年(1900年):母校創立
「神奈川県高等女学校」橘樹郡保土ヶ谷町岡野新田に校舎新築着工
新原俊秀初代校長着任
第1回入学式ー生徒178名
(高等女学校で英語を必須とするー全国初)
校名改称「神奈川県立高等女学校」となる
35年(1902年):師範学校女子講習科を付設
校舎建築工事完工
36年(1903年):第1回卒業証書授与式(卒業生78名)
第1回同窓会開催
37年:
38年(1905年):春期”遠足”開始
39年:
明治40年(1907年):神奈川県女子師範学校併置の認可
神奈川県女子師範学校入学式
生徒による教室掃除開始
41年(1908年):級長規定制定
本校西方一棟新築竣工
42年(1909年):女子師範学校寄宿舎など竣工
横浜開港50周年記念開催
43年(1910年):技芸専修科廃止
付属小学校始業式挙行
学友会創設(談話部・雑誌部・体育部を設置)
修学旅行開始
同窓会報「花たちばな」第1号発刊
44年(1911年):第10回開校記念式挙行
45年(1912年):
大正
第1回父母懇話会・学級懇談会開催
3年(1914年):評議員規定・清潔法施行規定を定める
学友会を校友会に改称
校務分掌規定・入学試験規定・賞状授与規定・
通学生徒欠席規定・級会規定・など30規定を定める
高女第1回「学芸談話会」挙行
4年(1915年):第1回体育奨励会
生徒制服制定(矢絣模様元禄袖)
5年(1916年):校歌制定
6年(1917年):第1回全校体操
7年(1918年):
8年(1919年):長者町大火。類焼の生徒13名・近火者49名に対して寄宿舎から炊き出し
大火のため運動会中止
9年(1920年):創立20周年記念式典(横浜開校記念会館)
<開校祝賀式・勤続職員表彰・記念音楽会・バザー>
同窓会事務所・同窓会付属幼稚園設立
10年(1921年):電鈴使用開始
11年(1922年):修業年限4年を5年に改正
相沢英次郎校長退職
第3代五十嵐長之丞校長就任
付属小学校焼失
13年(1924年):同窓会を「真澄会」と改称
14年(1925年):
15年(1926年):本校生徒数1,000名となる
校地西南6坪を県警察部に貸与
昭和
富士山登山
第1回県下女子中等学校体育大会で籠球優勝
3年(1928年):徽章(バッジ)制定
新校舎に移転
テニスコート新設
真澄会館竣工(校庭西北隅)
昭和4年(1929年)4月23日:昭和天皇行幸。
洋服の校服制定
創立30周年記念式挙行
ハンドボール部、スケーティング部発足
6年(1931年):第1回耐久徒歩大会(33.03km)
河邊良平校長転出
第5代滋賀 貞校長就任
7年(1932年):週番制実施
5年生、横浜港より竜田丸で関西方面修学旅行(船旅は14年まで)
滋賀 貞校長退任
第6代船越文教校長就任
第1回キャンプ開催(辻堂海岸)費用は90銭
「学校時報」第1号発刊
9年(1934年):「専攻部研究科」新設
昭和10年
音楽映画部に「ヴァイオリン研究部」を新設
第8回神宮大会で籠球準優勝
第1回スキー旅行(菅平)
展覧部に「美術研究部」「書道研究部」新設
11年(1936年):県4人制排球大会優勝
県春季女子籠球大会優勝
12年(1937年):船越文教校長転出
第7代長澤恭治校長就任
13年(1938年):校旗制定
本校学校報告団結成
運動部宿泊修養會(籠球、排球、庭球、卓球、陸上部)
14年(1939年):薙刀 正課となる
県女子中等学校競技大会の各種種目に優勝
15年(1940年):学級増加(定員1,250名)
創立40周年記念行事挙行(慰霊祭)
「花橘」創立40周年記念号発行
16年(1941年):校友会に「国防部」「訓練部」新設
交友会を「報国団」と改称
5年生「関西聖地参拝旅行」
17年(1942年):東側隣接空地購入(園芸実習地、勤労作業場、弓道場、テニスコート)
5年生100名「陸軍兵器補給廠」に勤労動員
5年生「関西聖地参拝旅行」
英語随意科目となる
18年(1943年):2年生「森永製菓」に勤労動員
修業年限を4カ年とし、専攻科を置く
テニスコートが菜園と化す
19年(1944年):専攻科廃止
3年生以上「住友通信機」に動員
2年生「森永製菓」に勤労動員
昭和20年
学校が工場化する。工場機械搬入
建物疎開のため、木造校舎(雨天体育場、修養道場)取り壊し
長澤恭治校長退任
第8代中原豊蔵校長就任
5月29日:横浜大空襲、本館以外は焼失
8月15日:終戦
10月1日:授業再開
教科書回収に関する覚書示達
21年(1946年):4年で卒業する者102名、半数は進級5年生となる
週5日制、土曜日は自宅学習
22年(1947年):6・3制開始/ホームルーム制となる/校友会は「生徒自治会」となる
第一高女、自治会規約制定
生徒会文化部主催「アンティゴーネ」公演(県下学生演劇の出発)
「真澄」第1号発刊
英語芸能祭に「クリスマスキャロル」で1位になる
第1回自治会総会開催
23年(1948年):通信教育課程を併置
校名改称「神奈川県立横浜第一女子高等学校」
生徒自治会第1回総会開催
「第一高女時報」発刊
”学校キャンプ”復活
音楽部、県下コンクール優勝
県下作文コンクール 1位、中・高 1、2、3位独占
県英語コンテスト1位
24年(1949年):第一高女第46回(最終)・新制第1回卒業式挙行
講座別の教室になる
ホームルーム・生徒集会・クラブ活動が正課となる
県立横浜幼稚園併置
中原豊蔵校長退職
第9代保坂周助校長就任
卓球・県下高校大会優勝
バレーボール部・全日本予選優勝
第4回国体・(バレーボール、体操、水泳、卓球出場)
県立第二高等学校 火災見舞金募金、校舎一部貸与
25年(1950年):保坂周助校長転出
第10代佐藤秀三郎校長就任
校名改称「神奈川県立横浜平沼高等学校」
男女共学第1回入学式(440名内、男子207名)
「真澄会」会則を改正
創立50周年記念行事
校歌の歌詞一部変更
運動会・四季別の対抗戦になる・応援団発足
第1回校内弁論大会
「花橘」復刊第1号
陸上部復活・野球、バトミントン、ソフトボール部創部
26年(1951年):生徒会報「平沼」を「平沼時報」に改称
柔道場を開く・柔道を正課にする
新聞部 県コンクール優勝
音楽部 県コンクール優勝
女子水泳部 県下総合優勝
27年(1952年):第1回校内マラソン大会
野球部 秋季大会準優勝
文化祭を校内展示会に変更、以降文化祭は3年に1度
保健実験校に指定
28年(1953年):漢文を必修科目とする
体育館落成(秩父宮妃ご来校)
テニスコート完成
女子バスケット部 インター杯2位・全日本総合選手権大会第3位
第1回校内駅伝大会(校内マラソンを駅伝にかえる)本校ー金沢文庫折り返し
29年(1954年):OBオーケストラ第1回発表会
第1回平沼vs翠嵐戦
「神奈川通教部報」第1号発刊