蒲田(旧姓:佐野)敏子さん(36期)100歳バースデートークショー報告

2021年5月3日

蒲田(かつきた)(旧姓:佐野)敏子さん100歳バースデートークショー聴講記
***横浜市開港記念会館***

広報委員 写真担当 65期 桐生 達夫
同上  記事担当 72期 山本 克己


36期蒲田敏子さんは付添人はおられましたが、ご自分の足でステージに上がり、トークショーが始まりました。三部構成で原稿を全く見ないで約1時間お話する姿に、感動を覚えました。心と身体を常に健やかにし、感謝の心を忘れないで過ごすことが大切です。そして、自分で決めたことはやり通すことが大切です。時には、まさかの出来事が発生します。良きにせよ、悪しきにせよ努力をして、我慢することが大切です。そうすれば、必ず道は切り開かれます。私みたいに生き生きと生きてゆけるのです。
心を大切にされる言葉の重さと100歳の人生経験をお聞きして、心に響き渡りました。こんな機会を与えて頂いて感謝しています。

蒲田さんの人生の三部構成を紹介させて頂きます。

第一部(生後~少女期)
 
・3歳の時関東大震災で、頭部損傷・鼻骨折の大怪我をした。医者もなく、献身的な両親の介護で一命を取りとめた。それ以来、病気らしい病気はしていない。
・大岡小6年間~県立第一高女5年間は、無遅刻・無早退・無欠席で、皆勤賞
・大卒後、磯子小学校 教員となった。黒板に「すなお・がまん・なかよく」と書き、毎朝歌を歌って、子供たちに伝えた。教え子から、教えをありがとうとの祝電が入った。
・結婚

第二部(戦争~別れの体験)
・戦争で、多くの大切の人を見送った。しかし、辛い日々の中でいまでも続けている
鎌倉彫と出会えた。
・最初の夫が、25歳の時に亡くなった。途方に暮れていた時、夫が勤めていた会社役員から秘書の要請があり、そこで勤め、その会社の同僚が2番目の夫となった。
・2番目の夫の数度の転勤で、四国移動から単身赴任となり、久しぶりに横浜へ戻った。米国大使館内で、鎌倉彫を披露するようになった。しかし、2番目の夫も60年間連れ添って、13年間看病したが、見送ることになった。
・出会いと別れだったが、「まさかの出来事」は悪いことだけではないと思った。

第三部(一番幸せな今)
・毎朝、健康なこの自分の体に感謝している。健康な秘訣は、毎朝自分の足の裏を200回叩くこと、そして父から教わったスポーツタオルで毎朝乾布摩擦をしていることだと思います。
・今でも好きな鎌倉彫そして、コーラスも続けられて幸福です。自分を褒めてあげることも大切だと思います。
・そろそろ歳になったので、姉が入居していたホームにお願いして入りました。5泊6日施設で過ごし、ひととき一人の生活を楽しみ、とても充実していました。しかし、コロナのため、元気な私は追い出され、現在は一人暮らしです。でもとても元気です。

本日は、多くの方に足を運んで頂き、ありがとうございます。これからも健やかに人生を
生き抜いていきます。最後に「仰げば尊し」を歌われ、閉会となりました。

以下、パンフレットより

 

2021年05月11日|記事種別:活躍活動|内容種別:報告