恥ずかしく、そして懐かしく/真澄会会長 加藤 廉(65期)

恥ずかしく、そして懐かしく

真澄会会長 加藤 簾(65期)


 人生を振り返って、うまくいったことよりも失敗したことや恥ずかしい体験の方が記憶に深く刻まれている。高校時代も例外ではない。部活で、授業で、恥ずかしさとバツの悪さが入り交じった二つの出来事が、いまも鮮明に思い浮かぶ。

 昭和40年(1965年)春の入学から間を置かず、演劇部に入った。二階の講堂に続く階段裏に薄暗い部室があった。部室前の通路で不慣れな大工道具を使って舞台装置を作ったことが懐かしく思い出される。
 それは、1年生の夏、入部後に初めて舞台に立ったときに起きた。新人の発表会だったろうか。出し物はホームドラマ。冬の設定で居間を想定した舞台にはストーブもあった。
 講堂の窓という窓は暗幕で覆われ、冷房もない。ただでさえ暑いのに、ライトを浴びた舞台上はさながらサウナ状態にあった。
 私は大学生役。外出先から帰ってひと風呂浴びてセーターを着ながら舞台に登場する。待ち構えた父母とテーブルを挟んで座り、ちょっとした家族会議が始まる。テーブルの自席に着く寸前だった。セリフを吐いたその時、客席の前列にいた生徒がクスクス笑っているのに気づいた。喜劇ではない。笑いを誘うセリフを述べた場面でもない。
 〈あれっ、妙だな〉と頭を垂れた瞬間、すべてを理解した。セーターを前後逆さまに着込み、胸のところにあるはずのVネックを背負っていたのだ。〈そういえば、着心地が稽古のときと違っていた〉。そう思っても後の祭り。胸の方にたるみが出るようにセーターの端を引っ張ったり、できる限り客席に背中を見せないように小細工するのが精いっぱい。芝居がどのように進んだのかは、よく覚えていない。
 とにもかくにも幕は降りた。3ヵ月近くの稽古と本番を終えた解放感を味わうどころではない。どちらかと言えばシリアスな筋立ての家庭劇が、Vネックのセーターひとつで台無しになった。そう考えて、暗たんたる気持ちになった。
 しかし、その後の反省会は思わぬ展開になる。演出の上級生は苦笑いしながらただ一言。「気づいたときに着直せばいいことさ。日常でもよくあることじゃないか」と。むしろ叱責の矛先は父親役の同級生に向いた。私が風呂上りにイスにかけたバスタオルを使い、しきりに汗をぬぐったのだという。わが身の失態でうろたえていた私は演技中まったく気づかなかったのだが、汗をぬぐいたくなる気持ちはよく理解できた。が、先輩は「ストーブを点けている冬場なのに、あんなに汗をぬぐうのはおかしいだろう!」と容赦しなかった。
 先輩の雷が落ちるのではないかと冷や冷やして臨んだ反省会。私だけの失態じゃなかったことに正直、救われた思いもしたのだが、恥ずかしさはいつまでも消えなかった。

 もう一つの出来事は音楽の授業中だった。2年生のとき。音楽教育で大きな功績を残した佐藤一夫先生(故人)の指導でコーリューブンゲン(合唱練習書)を学び、生徒一人ひとりがその成果を披露する場面だった。課題曲は確かフォスターの「夢路より」。私の番になって気分よく歌い始めたが、どうもピアノ伴奏が合わない。ピアノの音が遅れて聴こえたり、メロディーが先走って聴こえたり。まるで、ちぐはぐなのだ。クラスメートがにやにやしている。そう思った瞬間だった。佐藤先生から待ったがかかった。伴奏者を向いて「歌い手がどんなに外れていようが、それに合わせるのが伴奏だよ!」と怒っている。
 〈外れていたのは私なんだ…〉。それが分かると顔から火が出るほどに赤面し、伴奏者が叱責されたことに拍子抜け思いも同時に湧いてきた。伴奏者は楽譜と寸分違わずピアノを弾いていたはずだ。先生の怒りに驚いたことだろう。しばしの中断後、再挑戦したのか。私の勝手なテンポに伴奏者は合わせてくれたのか。すっかり忘れているのだが、恐らく合わせてくれたのだろう。伴奏の女生徒はその後、東京芸大を卒業し海外で活躍するオルガニストになった。

 余はカラオケ時代。老若男女を問わずマイクを握り、人前で堂々と声を張り上げる。国民総歌手と言われるような時代になった。が、佐藤先生の薫陶も空しく、私はいまだに歌うことの苦手意識が付きまとう。「嘘言え!よく歌っていたじゃないか」と職場の同僚や友人に追及されそうだが、それもまた事実。ただし、いつも素面ではなかった。ほろ酔いの勢いに任せ、マイクを握っていたように思う。

 昨年(平成28年)春に真澄会の会長になった。「秋の校歌祭に出てよ。男性陣が少ないので」と何度か誘いを受けたが、重い腰は上げられなかった。「コーリューブンゲンも勉強しているんだから」とクラスメートからもお呼びがかかった。が、そのコーリューブンゲンが曲者なのだ。ハーモニーを壊してしまうんじゃないか。まして素面の世界だ。体よく辞退するための言い訳のように思われるかも知れないが、あの日、あの時の苦い経験が、トラウマになって残っている。

 恥ずかしく、情けなく、気まずい二つの出来事を告白した。学業や部活の華々しい活躍や胸高鳴る恋の話ではない。だからと言って、母校にも高校生活にも嫌な気分が残っているわけではない。そんな失態を含めて紛れもない青春の真っただ中に生きていたからだろう。もしタイムスリップができるなら、真っ先に平沼高校時代を選ぶに違いない。

「花橘 第67号2016年度」

2021年04月27日|公開:公開