海外での暮らし-シンガポール/浅井裕司(66期)真澄会副会長

2020年初頭からのコロナウィルス感染症はまだ収束するようすがみえません。
この3年間で世界はとても内向きになり、人の交流の機会は減ってしまいました。
しかし、この感染症にも何れ終わりが来るはずです。その時には世界中の人々が今まで以上に行き来する事になると思います。
現在、平沼高校で勉強に励まれている皆さんも、当然のように世界中で仕事をすることになるのではないかと思います。
私は42歳から60歳までの18年間をシンガポールで過ごしました。シンガポールの事についてお話ししたいと思います。

 


私が3回目の転職で、シンガポールに移り住んだのは日本のバブル景気が終わりかけた1992年でした。妻と高校2年生の長女、中学3年生の長男も一緒です。
シンガポールには当時日本人が4万人以上住んでおり、日本人小学校が2校、中学校が1校、高校は幕張高校がシンガポール校を開設したばかりでした。
デパートは大丸、伊勢丹、高島屋、スーパーは明治屋、伊勢丹、ヤオハンなどがあり、はじめての海外生活にはとても恵まれた環境でした。
当時のシンガポールは、東南アジアの製造拠点として重要な国でした。
日本人の数は4万人以上いましたが、製造業の拠点としての役割を終えてから次第に減っていきました。その後は、世界有数の国際金融取引市場、国際空港、貿易港、また法人税、所得税が安いこともあり、現在の日本人の数は30年前より増えているようです。

 

シンガポールは第二次世界大戦の時は英国の植民地で1942年に日本軍の攻撃を受け、1945年までは日本の占領下に置かれました。その間には多くのシンガポール人が犠牲になりました。私の会社にもおじいさんが日本軍に殺されたという社員も数人いました。シンガポールにいる間に暗い歴史について責められる事は一度もありませんでしたが、外国人としてその国に住むからには、不幸な歴史を知り、その歴史を尊重する態度が必要だと思いました。

 

シンガポールは多民族国家と呼ばれますが、これは国の生い立ちにも起因しています。シンガポールは第二次世界大戦後、マレーシア連邦の構成国としてイギリスから独立します。しかし、マレーシアがマレー人優遇政策をとる中、マレーシア連邦から追放されることになります。当時の首相は有名なリー・クアンユーです。横浜市の1.5倍位の大きさで人口も少なかったシンガポールは突然一つの国として世界に放り出されたことになります。彼は1959年の6月にシンガポール共和国初代首相に就任し、1990年11月までの31年間の間に世界有数の国に育てました。
シンガポールの人種構成は中華系74%マレー系14%インド系9%で、人口は約550万人、ただし、シンガポール国籍を持つ人は約340万人で200万人以上は永住権所有者を持つ外国籍の人たちです。私も永住権を持っていましたので、シンガポールの人口の一人だったわけです。

 

現在のシンガポールの一人当たりのGDPは、世界2位、国連人間開発指数は世界で9位となっています。私が住み始めた30年前には一人当たりのGDPが日本の2分の1から3分の1だったことを考えると、発展スピードの凄さに驚くと同時に、日本の失われた30年を感じさせられます。
因みに、現在の首相はリー・シェンロンで初代首相の息子です。

会社員の働き方:
生活を向上させるための努力は惜しみません。仕事をしながら大学院に通い、MBAを取得する人も珍しくありません。必要な残業は当然のようにやりますが、そうでない時は5時になるとあっという間にオフィスから人がいなくなるのが普通です。
優秀な人材はより良いキャリアを求めて転職したり、資格を取る努力をします。
私がいた当時は、学校の先生にも転職が多いと聞きました。公立学校であっても、優秀な先生は別の学校からより高い条件でスカウトされたり、自分で売り込むといったことが行われていたようです。校長先生も自分の学校の生徒の成績が上がれば政府から高い評価を得ることができるため、優秀な先生を集めて学校を良くすることが仕事の一部だったそうです。今でもその制度が続いているかは分かりません。何故かと言うとシンガポールでは制度や規制がかなり頻繁に変わるからです。政策が立案から施行まで半年程度の場合も珍しくありません。

 

シンガポールでは肉体労働の大部分はバングラデシュ、マレーシア、インドネシアなどの外国人労働者に頼っています。会社は外国人労働者一人当たり数万円を国に支払わなければなりません。また、外国人労働者を雇える数は、シンガポール人社員数を超えてはならないなど細かい規則があります。このため、シンガポール人の雇用を守りながら必要な労働力をコントロールしているわけです。女性の外国人労働者の場合には、妊娠したら国外退去させられるなど人道上の問題になるような規則もあります。
外国人労働者の取り扱いにはっきりと区別をしているわけです。外国人へのビザには、
(1)永住権所有者(2)高度技能雇用者(3)労働許可証(4)メイド労働許可証があります。

外国人労働者を積極的に受け入れる一方で、シンガポール人の失業率が上がらないようにしています。

 

男性には2年の兵役義務があるため、仕事の実務では、女性に2年のハンデを負っています。このため、ビジネスの上での女性の存在感は高く、幹部社員も女性の比率は高いです。年功序列の制度がないため、努力した人としない人の格差は大きくなります。
シンガポールで働く日本人には大きく分けて3種類の人たちがいました。

(1)日本企業から赴任している社員(2)現地採用の日本人社員(3)自営業をしている日本人

 

(1)日本企業からの社員:
幹部社員として赴任するので、コンドミニアムの家賃、医療保険、子供の学費、場合によっては、現地での税金などが会社負担で比較的余裕のある生活となります。

 

(2)現地採用の日本人:
語学力がある女性が秘書として、日系企業の幹部社員をサポートする場合が多い。私が知る限りでは、とても積極的で、好奇心の強い、優秀な女性が多かったと思います。待遇はあまり良くない為、寝室が4部屋程度ある。アパートやコンドミニアムを4人でシェアして住み、保険も自分で負担するケースが多いようでした。その他海外経験の長い日本人が他の外国企業、現地の会社に採用されるケースもあります。

 

(3)自営業の日本人
高リスク、高リターンの世界です。倒産して日本に帰る人、会社を大きく育ててから売却して数十億、数百億円の利益を得る人もいます。最近では有名な日系ファンドもシンガポールに本社を移しています。

 

宗教
シンガポールは多民族国家のため、仏教、イスラム教、ヒンズー教、キリスト教など多くの宗教を信仰する社員が会社の中にいます。それぞれの宗教行事に対しては、会社も最大協力することが暗黙の了解となっており、就業時間内にお祭りを行うこともあります。会社としては、宗教には口を出さないと言うのが基本姿勢でした。
しかし、イスラム教など断食期間中は残業が一切できない、金曜日のお祈り時間は大目に見なければいけないなど、幹部社員として登用するのに障害になっていると私は感じました。しかし、イスラム教は怖い宗教と言う印象を持つ人が多いですが、競争心があまり強くなく、優しい人が多いと言う印象を持ちました。

 


今、日本は停滞しています。契約社員が増え、パワハラも横行し、あまり良い仕事環境にはないかもしれません。しかし外国に目を向ければダイナミックに発展している国はたくさんあります。そういった国では世界中から若者が集まり、いろいろな仕事をしています。日本の中でも視点を変えれば面白い仕事は見つけられます。皆さんがこれからたくさん面白いものを見つけられる将来に期待します。

 

「花橘 第73号2022年度」


2023年03月14日|公開:公開