真澄会HP「母校史」の執筆について(届け出)

『母校史の執筆を歴史資料委員会に依頼する文案』

表記の件ですが、歴史資料委員会に執筆を依頼し、同意を得る、ことを事務局にお願いしました。

しかし、歴史資料委員会の同意(合意)を得るのではなく、「私から届け出をすれば事務的な引継ぎは終わるのでは」、と思い『届け出書』を作りましたので、添付します。

一方通行的なやり方(通知方法)が、真澄会の案件の進め方に合わないのであればやり直すので、教えてください。この通知方法で問題なければ、文案を読んでいただき、表現を変えた方がよいところはご指摘ください。

よろしければ、会長や理事さんへの通知は、事務局から真澄会のメールアドレスを使って、届け出書をメールしていただければありがたいです。発信日付は必要に応じ変更してください。

こうしておけば、130年誌の執筆依頼が来たら、この届け出書を根拠に「母校史の担当について歴史資料委員会に依頼してある」と断れると思います。

届け出書に代えた理由は以下のとおりです:
次の130周年のHPの執筆時(2030年過ぎ)には、私はいないか、執筆できない状態だと思うので、解決しておきたいと思っています。

以上よろしくお願いいたします。

須藤

2022年8月16日


真澄会会長 皆藤愼一様
歴史資料委員会 担当理事 各位


ホームページ(HP)担当:須藤伸司(61期)


真澄会HP、「母校史」の執筆について(届け出)
― 「母校史」は今後、歴史資料委員会で執筆してください ―
 

1. HPの「百年史」、「母校史」執筆の経緯
(1) HPに掲載されている「母校史」は、それまで掲載されていた「百年史」のタイトルと内容を代えて、2022年6月に差し替えました。
(2) 「百年史」は、母校創立100周年記念事業の一つとしてHPの立ち上げにも参加した、田中貞次(65期)さんが作成しました。当時HPへ、アップする記事はほとんどなく、ページをコツコツ作成していました。
(3) 「百年史」は、途中(1982年)で終わったまま放置されているので、理事会で、歴史資料委員会に「百年史の続きを書くこと」を依頼しました。同委員会から「それをできる人は松本道男(通信制1期)さんしかいない」と言われ、松本さんに執筆を依頼しました。10年近く待ちましたが、松本さんが亡くられたので、「続き」ができなくなりました。
(4) 私はHP担当ですが、上記の事情を見て2019年ころから「創立百周年記念誌」をもとに「続き」の執筆を始めました。すでに「創立110周年記念誌」があり、その後「創立120周年記念誌」も出来たので、これらを原典にして、1900年から2020年までの学校史の記事を書きました。
(5) 名称は、2020年までの校史を執筆したこと、この先も校史の執筆があることを考え、「母校史」に変更しました。


2. 創立130年に繋がる母校史は歴史資料委員会で執筆してください。
真澄会で、学校の歴史に関することは、歴史資料委員会の担当と認識しています。今後も真澄会・歴史資料委員会は、学校と協力して周年記念誌を作成すると思いますが、そのときのデータ・写真のデジタル版は、そのままHP原稿に活用できます。HPの「母校史」は、スマホやPCから誰(特に在校生)でも校史を見ることができ、すぐれた広報媒体だと思います。
以上の理由から、「母校史」の執筆は、歴史資料委員会が担当されるよう、お願い申し上げます。

以上