1901年(明治34年)
愛知県師範学校長・新原俊秀、初代校長に就任(2/9)
関連リンク:初代校長・新原俊秀先生/真澄会会長(当時) 山口精一(52期)
校舎一部完成(校長室、教員室、普通教室、特別教室、事務室など)(3月)
教員服務心得、職員会規定、生徒服装規定などを制定(4/4)
当時の女学生の服装は、地味な着物や袴姿で、動きやすいように短い「筒袖」だったそうです。当時「筒袖」は男の人が着るもので、生徒たちは誠に恥ずかしかったという記録があります。また、女子が上級学校へ進んで学問をするだけでも特別な目で見られる時代、女性は控え目で慎ましくと願う親たちにとって、「男勝り」の制服は心配の種だったそうです。
3年生の入学試験を横浜商業学校で実施(4/7)
職員服装規定を制定(4/9)
神奈川県高等女学校規則を制定(4/13)
2年生の入学試験を本校内で実施(4/14)
1年生および技芸専修科1年生の入学試験を本校内で実施(4/21)
第1回入学式〔職員14名、生徒178名〕(5/1)
開校式を挙行。この日を開校記念日に制定(5/5)
「神奈川県立高等女学校」と改称、同日授業開始(5/7)
体育教師が初めてカドリールを踊る(5/13)
第1回学芸奨励会を行う(5/28)
関連リンク:学校ダンス「ファウスト」と横浜平沼高校/総括教諭(当時) 石郷岡 真
第1回秋季遠足〔鎌倉、以後恒例化〕(10/29)
高等女学校で英語を必須とする:全国初