ジェンダーレスの時代を迎えて、女子の制服にスラックスが正装として認められる。
年表降順
降順年表はブログ形式のみ可能です。
百年史
- 2024年(令和6年)
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- 2022年(令和4年)
- 2020年(令和2年)
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体育祭、新型感染症まん延のため中止
平沼祭、新型感染症まん延のため中止
関東大会出場:ハンドボール部女子
トレーニングルーム空調設備工事(8月)
先輩セミナー、9名の講師を招聘し開催(11/12)
グラウンド照明設備整備工事 既存水銀灯のLED化(11月)
トイレ手洗い場の推薦自動化工事(12月) - 2019年(平成31年)(令和元年)
- 2018年(平成30年)
- 2017年(平成29年)
-
117期生319名入学、7クラスから8クラス規模への変更
第16回体育祭(5/19)総合優勝:春組、応援優勝:春組
第41回平沼祭(7/1~2)
関東大会出場:ハンドボール部女子
全国大会出場:ダンス部
先輩セミナー、1名の講師を招聘し開催(10/12) - 2016年(平成28年)
-
小野校長退任、榊原圭子・第30代校長に就任(4/1)
新エネルギー教育支援事業指定
学習指導実践研究協力校(英語)指定〔国立教育政策研究所〕(~2017年)
グローバル教育研究推進校指定(~2021年)具体的には11のプログラムが行われた(一例として):
交流会:日本で学ぶ外国人留学中と主に1、2年生が英語によるディベートを行った
公演会:在日大公使館職人による英語の講演会開催
学力向上進学重点校エントリー校指定(~2023年)
第15回体育祭(5/20)総合優勝:夏組、応援優勝:春組
第40回平沼祭(7/2~3)
関東大会出場:ハンドボール部女子
国内修学旅行に変更〔九州3泊4日〕(10月)
全国大会出場:ダンス部
先輩セミナー、1名の講師を招聘し開催 - 2015年(平成27年)
-
部活動強化支援事業〔かるた部〕指定(~2020年)
第14回体育祭(5/22)総合優勝:夏組、応援優勝:夏組
第39回平沼祭(7/4~5)
全国大会出場:ダンス部
先輩セミナー、1名の講師を招聘し開催(11/5) - 2014年(平成26年)
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第13回体育祭(5/23)総合優勝:夏組、応援優勝:夏組
第38回平沼祭(7/5~6)
関東大会出場:ハンドボール部女子
海外修学旅行変更〔グアム、3泊4日・113期生〕(10月)
太陽光発電設備及び蓄電池設備導入事業・太陽光モジュール及び蓄電池の設置・配管配線・1階事務室にデータ計測装置及び表示装置の設置(~2015年3月)
先輩セミナー、1名の講師を招聘し開催(11/13) - 2013年(平成25年)
-
県立高校教育力向上推進事業、Ver.II研究推進校〔国際教育〕指定
第12回体育祭(5/24)総合優勝:夏組、応援優勝:冬組
第37回平沼祭(7/6~7)
関東大会出場:ハンドボール部女子
全国大会出場:ハンドボール部女子
先輩セミナー、7名の講師を招聘し開催(11/21) - 2012年(平成24年)
- 2011年(平成23年)
-
島巡校長退任、荒蒔治夫・第28代校長に就任
体育館棟天井照明設備工事・水銀灯のLED化(~2019年)
第35回平沼祭(7/2~3)
第10回体育祭(5/17)、総合優勝:春組、応援優勝:秋組
先輩セミナー、7名の講師を招聘し開催参考資料:先輩セミナー講師一覧
2011年:東日本大震災発生
- 2010年(平成22年)
- 2009年(平成21年)
-
関東大会出場:剣道部女子
インターハイ出場:剣道部女子
第2回修学旅行〔マレーシア・3泊5日〕(10/21)108期生
先輩セミナー、8名の講師を招聘し開催(2009年~2010年の講師一覧)参考資料:先輩セミナー講師一覧
- 2008年(平成20年)
- 2007年(平成19年)
-
関東大会出場:剣道部女子・3位
国体出場:剣道部女子 - 2006年(平成18年)
- 2005年(平成17年)
-
通学区域が撤廃された前期入学者選抜実施(1/26)
関東大会出場:剣道部女子・ベスト8
先輩セミナー、6名の講師を招聘し開催 - 2004年(平成16年)
-
前期後期制による前期入学者選抜実施(1/26)
関東大会出場:剣道部女子
先輩セミナー、5名の講師を招聘し開催 - 2003年(平成15年)
- 2002年(平成14年)
- 2001年(平成13年)
- 2000年(平成12年)
-
鈴木校長退任、松村榮子・第25代校長就任(4/1)
100周年記念事業に向けてのコンクール2開催〔記念事業イメージポスターなど〕(4/1)
第100期生入学式(4/6)第1回先輩セミナー、3名の講師を招聘し開催(6/13)
この年から「先輩セミナー」始まる
関東大会出場:陸上部女子2名男子1名(6/17)
全国総体出場:弓道部女子、陸上部女子(8月)
関東陸上選手権出場:陸上部女子2名男子1名(8/26)
関東個人選手権選抜大会出場:女子2名男子1名(9/10)
日本ジュニア陸上選手権出場:陸上部女子(9/16)
吹奏楽部、東関東大会出場(9/23)
学校創立100周年記念の各種行事開催(詳細は百周年記念事業をご覧ください)創立100周年記念音楽式典開催(みなとみらい大ホール)
- 1999年(平成11年)
-
関東大会出場:弓道部女子、陸上部女子5名(6月)
生徒広報誌(美助人)の発行〔2001年まで〕(6月)
全国定通制軟式野球選手権大会出場:通信制野球部(8/16)団体関東ブロック大会出場:弓道部男女各1名(8/22)
関東陸上選手権出場:陸上部女子4名(8/28)
100周年記念事業に向けてのコンクール1開催〔シンボルマーク、キャッチコピーなど〕(9/1)
日本ジュニア陸上選手権出場:陸上部女子(9/4)
関東個人選手権選抜大会出場:弓道部男子2名(9/12)
文化祭(9/18~19)吹奏楽部、東関東大会出場(9/26)
国体出場:弓道部女子(10/25)
関東選抜新人大会出場:陸上部女子3名(10/30) - 1998年(平成10年)
- 1997年(平成9年)
- 1996年(平成8年)
- 1995年(平7成年)
-
修学旅行〔北海道〕(1/31~2/4)
河内校長退任、黒田和雄・第23代校長就任(4/1)学校5日制に伴い第2、第4土曜日休校(4/5)
関東大会出場:ハンドボール部男子、陸上部男子走り高跳び・2位(6月)
創立100周年記念行事実行委員会〔学校管理職、真澄会、PTA〕、開催(6月)
スポーツ大会を実施〔球技大会を名称変更。~現在〕(7/15~17)
全国総体出場:陸上部男子(8/2)
全国定通制陸上大会出場:女子3名、男子2名(8/11)
関東個人選手権選抜大会出場:弓道部女子(9/17)
陸上競技大会〔大和市スポーツ公園陸上競技場、3年ぶり実施〕(10/4)
全日本高等学校声楽コンクール出場:女子2名(10/20)学校五日制がこのころから始まりました。
1995年:阪神淡路大震災発生
- 1994年(平成6年)
- 1993年(平成5年)
- 1992年(平成4年)
- 1991年(平成3年)
- 1990年(平成2年)
- 1989年(昭和64年)(平成元年)
- 1988年(昭和63年)
- 1987年(昭和62年)
-
全国選抜大会出場:弓道部女子(3/21)
関東大会出場:弓道部女子・団体準優勝、陸上部*(6/6)
全国総体出場:陸上部男子(8/1)
全国定通制卓球大会出場:通信制女子2名(8月) - 1986年(昭和61年)
-
校内球技大会〔~91年〕(5/1)
関東大会出場:弓道部男女、陸上部女子(6月)
全国総体出場:陸上部女子、弓道部男女(8/1)
国体出場:陸上部女子(10/13)
関東選抜大会出場:弓道部女子(11/15) - 1985年(昭和60年)
-
創立記念行事〔創立記念日に行事を行うのはこの年が最後〕(5/4)
陸上競技大会〔三ツ沢、平沼スポーツの日に代わり三ッ沢にて~現在〕(5/29)
関東大会出場:弓道部女子、陸上部(6月)
全国総体出場:陸上部、弓道部(8/1)
全国定通制陸上競技大会出場:通信制男女各1名(8/18)
修学旅行〔10/~10/5。この年から修学旅行をコース別から全学年同一方面へ変更〕(10/1)
国体出場:陸上部女子(10/21) - 1984年(昭和59年)
- 1983年(昭和58年)
-
全国選抜大会出場:弓道部(3/26)
Lホームルーム、火曜4校時から6校時に(4/1)
必修クラブ活動金曜6校時から土曜4校時に変更(4/1)
弓道部女子、関東大会県予選・個人優勝(5/3)
関東大会出場:弓道部女子、バスケットボール部女子・Bブロック優勝、陸上部(6月)
全国総体出場:弓道部女子(8/5)
平沼音楽祭、佐藤一夫先生35周年記念音楽会〔県立音楽堂〕(10/13) - 1982年(昭和57年)
- 1981年(昭和56年)
-
国体出場:アイスホッケー男子(1/25)
学区再編〔横浜中部学区内、9高校、24中学校〕(横浜中部学区は平沼・光陵・金井・保土ヶ谷・桜丘・舞岡・豊田・汲沢・岡津の9校)(4/1)
生徒手帳改訂〔バイク、女子制服規定〕(4/1)
関東大会出場:陸上部女子、卓球部男子(6月)集会(従来の朝礼に代わるもの)が始まる(6/23)
全国総体出場:陸上部女子(8/1)
全国定通制軟式野球選手権大会出場:通信制野球部(8/13)
全国定通制陸上競技大会出場:通信制女子(8/23)
創立80周年記念行事(県民ホール)〔式典、展覧会、演奏会〕(10月)この時、生徒が取得した原付免許を、先生が職員室の机に預かっていました。
- 1980年(昭和55年)
-
全国総体出場:フィギュアスケート女子(1/19)
国体出場:フィギュアスケート女子、アイスホッケー男子(1/26)
関東大会出場:バスケットボール部女子、陸上部女子(6月)
第25回平翠戦〔両校協議の結果、翌年の中止を決定〕(6/17)
全国総体出場:陸上部10名、弓道部女子(8/1)
柔道部女子、県柔道大会で優勝*
関東大会出場:柔道部女子・3位(8/17)
合唱部、NHK全国音楽コンクール神奈川大会出場・最優秀賞(8/24)
陸上部女子、国体県予選100m・優勝*
国体出場:陸上部女子(10/13)
吹奏楽部、全日本コンクール県東部大会出場・優秀賞受賞
陸上部女子、県高校総体100mハードル・優勝 - 1979年(昭和54年)
- 1978年(昭和53年)
-
地盤沈下に伴う体育館改修工事〔3回目〕
PTA広報誌〔PTAだより〕が、県高P連で優秀賞受賞(2月)
第1回吹奏楽部演奏会〔県立音楽堂、定例化。~現在〕(3/24)新入生歓迎祭を開催(新入生歓迎芸能祭を改称)
関東大会出場:体操部、弓道部、バドミントン部、陸上部(6月)
「平沼時報」、全国コンクール佳作(6/28)
全国総体出場:弓道部女子、陸上部7名(8/1)
合唱部、県合唱コンクール出場:高校2部で最優秀賞受賞(10/1)
県芸術祭音楽コンクール出場:男子作曲部門・3位
国体出場:バスケットボール部女子(10/25)
放送部、アンデバンダンコンクール出場・DJ部門1位(11/25)
演劇部、横浜地区コンクール優秀賞受賞この頃、日本各地では公害が大きな問題になっていました。平沼高校の校舎も地盤沈下の影響でいくつもの亀裂やひび割れがありました。
- 1977年(昭和52年)
-
関東大会出場:陸上部女子・優勝(6/18)
全国総体出場:陸上部(8/1)
修学旅行〔5泊6日から4泊5日に短縮〕(10/10~14)
国体出場:陸上部男子、弓道部女子・総合優勝(10月) - 1976年(昭和51年)
-
朝礼月1回になる(4月)
東日本ソフトボール大会出場(横須賀市にて開催):ソフトボール部(4/2,4/3)
関東大会出場:剣道部女子、陸上部17名(6/12)
全国総体出場:陸上部(8/1)
将棋部女子、全国大会出場・団体優勝(8/19)
平沼祭、入場者2万人突破 - 1975年(昭和50年)
-
入学式〔10時50分開式〕(4/5)
必修クラブ活動開始(5/23)
関東大会出場:バスケットボール部女子、バスケットボール部男子、弓道部女子、陸上部男子・400メートルハードル・優勝(5~6月)
1年生、地理巡検兼遠足を実施〔遠足の代わり、1981年まで〕(6/11)この年から、通信制文化祭の名称を平通祭とする。
全国定通陸上競技大会出場:砲丸投げ女子・優勝(7月)
全国総体出場:バスケットボール部女子、陸上部、剣道部男子(8月)
将棋部女子、全国大会出場・団体優勝(8/20)
国体出場:水泳部女子(9/14)
吹奏楽部、県大会出場・金賞 - 1974年(昭和49年)
- 1973年(昭和48年)
- 1972年(昭和47年)
- 1971年(昭和46年)
- 1970年(昭和45年)
-
平翠戦中止
1年スケート実習(箱根強羅国際スケートリンクにて1991年まで)
教育課程変更。コース制を廃止し、必修・選択の2本立て(4/1)
関東大会出場:弓道部、バスケットボール部男子、山岳部、バスケットボール部女子、陸上部(6月)
全国総体出場:陸上部男女各1名、バスケットボール部女子(8月)
この年から文化祭を平沼祭と改称〔平高祭を改称〕(9/19)
合唱部、全国合唱コンクール神奈川大会出場・優秀賞受賞(10/18)
理化学研究部、日本学生科学賞神奈川県大会出場・最優秀賞受賞(10/29)
体育館、真澄会館取り壊し開始(11/9)
新体育館、幼稚園、真澄会館工事着工(12/10)1970年:日米安保条約自動延長
- 1969年(昭和44年)
-
テーブルマナー〔ホテルニューグランド、~現在〕(1/11)
社会福祉普及校発表会〔社会福祉会館〕、2年生参加(1/23)
1年生、地理校外学習〔従来の1年生社会科見学、~’73年〕(3/14)
関東大会出場:ラグビー部、バスケットボール部女子、体操部、陸上部(5~6月)
放送部、県放送劇コンテスト出場・優勝(6/14)
全国総体出場:陸上部、体操部、テニス部(8/1)
関東大会出場:水泳部(8/2)
石井校長退任、朝野六郎・15代校長に就任(10/16)テーブルマナーの会(第18回)、ホテルニューグランドにて実施。1987年まで
合唱部、関東高校合唱コンクール出場(10/25)
通信制文化祭(11/16)
講堂改修工事完了(11/19)
球技大会〔バスケットボール大会の名称変更、~’85年〕(12/15~18)球技大会を実施(1994年まで)(資料により内容が異なる)
- 1968年(昭和43年)
- 1967年(昭和42年)
-
柏陽高校開設準備室を開設(本校応接室)
全国高校選手権大会出場:フィギュアスケート女子1名:4位(1/24)
国体出場:フィギュアスケート女子1名・3位(1/28)
社会福祉研究普及校に指定される〔~’68年〕(4/1)
関東大会出場:バスケットボール部女子、陸上部5名、ハンドボール部女子(6~7月)
全国総体出場:陸上部、弓道部(8月)
フィギュアスケート女子1名、神奈川スポーツ賞受賞(11/3)、県教育委員会よりスポーツ優秀賞受賞(12/23)
県立横浜幼稚園、本校より分離 - 1966年(昭和41年)
-
全国高校選手権出場:フィギュアスケート女子1名(1/25)
健脚大会が復活〔三ツ沢競技場、現在まで〕(1/28)
1年生・英語、3年生・数学で能力別クラス展開(4/1)
関東大会出場:弓道部・入賞、体操部女子7名、陸上部、バスケットボール部女子(6月)
全国総体出場:陸上部、体操部、弓道部(8/1)
放送劇部、県総合優勝
放送部、全国大会出場(8/11)
国体出場:陸上部女子、体操部(10/9)
合唱部、関東合唱コンクール出場・2位(10/29)
男子1名、関東高校英語弁論大会出場・6位(12/4)
校内バスケット大会(12/13~22) - 1965年(昭和40年)
-
朝礼実施〔~’81年〕(4/12)
学級増に伴う教室不足を補うため、真澄会館を県立幼稚園に貸与(4/18)
この年から、修学旅行をコース別に分けて実施(1984年まで)
創立64周年記念行事〔~’85年〕(5/4)
関東高校登山大会出場:山岳部男子2名、女子4名(5/8)
関東大会出場:バスケットボール部女子、バレーボール部、体操部、陸上部、テニス部女子2名、ハンドボール部(6~7月)
弓道全国大会出場:弓道部(6/13)
全国総体出場:弓道部男子、陸上部女子、体操部女子、山岳部女子2名(7~8月)放送部、高校放送コンテスト全国大会出場(8/13)
合唱部、関東合唱コンクール出場・2位(10/23)
陸上部女子、県大会で走り幅跳び県高校新記録* - 1964年(昭和39年)
- 1963年(昭和38年)
- 1962年(昭和37年)
- 1961年(昭和36年)
- 1960年(昭和35年)
-
校内弁論大会(~’66年)(3/22)
遠足〔1、3年生:~‘74年〕(4/27)
新入生歓迎芸能祭〔全日。~77年まで〕(5/2)
関東大会出場:バトミントン部、バスケットボール部女子・2位、バレーボール部、陸上部、ハンドボール部男子、水泳部(6~8月)
通信教育部同窓会「いずみ会」第1回総会(7/24)
全国大会出場:弓道同好会男子(8月)
全国総体出場:バスケットボール部女子(8月)
放送劇部、全国放送コンクール放送劇部門出場(8月)
国体出場:バスケットボール部女子、山岳部、水泳部(10/21)
修学旅行〔3年生:熊本、長崎〕(11/18~24)関連リンク:ぢーぢが孫娘に語る「六十年前の平高生は」/真澄会理事(当時) 地代所達也(59期)
(後半に修学旅行についての記述があります)
1960年:日米新安保条約調印
- 1959年(昭和34年)
-
45分授業となる。2学期制を3学期制とする(4/1)
遠足〔1年生:箱根〕(4/30)
2年生進学補習〔~2月、’61年以降は9月まで・3教科〕(5/12)
3年生進学補習〔~1月、’63年まで続く・5教科〕(5/12)
修学旅行〔3年生:東北〕(5/30~6/5)
佐藤校長退任、香川幹一・第11代校長に就任(6/25)放送劇部、第6回全国高校放送コンクール・1位(8/18)
体育関係部室完成〔PTA費で新築、県に寄付〕(9/25)
修学旅行〔2年生:京都・奈良・四国〕(10/27~31)
国体出場:体操部男子1名、総合8位(10月)
県下一斉テスト〔国・数・英:以後定例化〕(11月)
校内マラソン大会〔女子・競歩、三ツ沢~西谷~三ツ沢〕(12/23)
この年、教育課程2コース制となる - 1958年(昭和33年)
- 1957年(昭和32年)
-
県高校美術展〔水彩画〕で男子、知事賞受賞(2月)
通信教育部第1回卒業式を挙行(卒業生1名)(3/1)
修学旅行〔3年生:北九州・関西〕(4/8~14)
春季PTA総会・学年会〔以後恒例化〕(5月)
関東大会出場:バスケットボール部女子(6月)
校内水泳大会始まる〔~‘62年〕(9月)
通信教育部、第1回体育大会開催(10月)定通10周年記念生活体験発表大会で女子1名、労働大臣賞(11月)
秋季PTA総会〔~’63年〕(11月)
男子駅伝〔各組より2チーム〕、女子競歩大会〔三ツ沢4000m〕(12/21)
インターハイ出場:バスケットボール部(12月)
通信教育部、放送教育研究指定校になる(12月) - 1956年(昭和31年)
- 1955年(昭和30年)
-
女子生徒制服決定〔上:背広型ダブル・白ブラウス、下:24本ヒダのジャンパースカート(2/25)
修学旅行〔1年生:登呂遺跡、2年生:佐渡、3年生:東北〕(6月)
新形式での第1回文化祭(11/5)
第1回定期演奏会〔午前:生徒、午後:一般、県立音楽堂〕(11/7)
ダンス大会〔女子〕、校内駅伝〔男子・職員〕(12/22) - 1954年(昭和29年)
- 1953年(昭和28年)
-
漢文を必修科目とする(3/31)
新入生〔8クラス〕男女別編成(4月)
修学旅行〔3年生:南九州〕(5/18~25)
「全国一」の体育館竣工。開館式に秩父宮妃・体操オリンピック選手来校〔工費約1500万円〕(7/11)テニスコート完成(7/15)
生徒総会で運動会男女別クラス対抗に反対。四季別を多数で支持(9/28)
週6日登校になる(10/1)
放送部、校内放送を開始。放送設備一応整う(10/1)
運動会〔四季別〕(10月)全国高校総体出場:バスケットボール部・準優勝。全日本選手権・3位(11月)
第1回校内駅伝大会開催〔クラス対抗・本校~野毛~伊勢佐木町~元町~麦田町~間門~八幡橋~杉田~金沢文庫まで10区間:’58年まで続く〕(12/1) - 1952年(昭和27年)
-
第1回校内マラソン大会〔男子:本校~子安台往復・1位46分34秒、女子:本校~浦島丘往復・1位42分07秒〕(2/22)
クラス編成を男女別とする(4/1)
女子標準服改訂(4/1)
修学旅行〔3年生:関西、2年生:佐度〕遠足〔1年生:静岡方面〕(5月)
横浜米軍輸送司令部募集論文に男子1等入選〔賞金25ドル〕(7/16)
運動会(10/5)
野球部、秋季県大会で準優勝(10/5)
文化祭を校内展示会に変え、以降文化祭は3年に1度の開催となる(11/1)
県音楽コンクール・総合優勝学力テスト実施、2年生も参加(12/25~26)
この年、県から「運動選手に対する健康管理の具体的方策」実験校に指定される(~‘53年まで) - 1951年(昭和26年)
-
生徒会報「平沼」を「平沼時報」に改称(2月)
女子標準服ジャンパー型に決まる(4/21)
3学期制を2学期制に改める。毎水曜日に一斉考察を実施(4/25)
柔道場新設。柔道を正課にする(4/25)
講堂で管弦楽演奏会開催〔生徒・PTA主催、神奈川新聞社後援〕(5/27)
生徒手帳できる(5月)
全国高校選手権大会出場:バドミントン部(8/17)
運動会〔第1回四季別仮装〕(10/18)
3階に図書館完成(10月)テーブルマナーの会(第1回)
国体出場:体操部・9位、バスケットボール部、卓球部(10月)
水泳部女子・県下総合優勝(10月)
新聞部・音楽部、県下コンクール・優勝(11/3)
生徒総会で水曜考察に反対(11/20)〔翌年内容を3年生は進路に合わせて改訂〕
全国高校大学選抜書道展出品:書道クラブ1951年:対日講和条約調印
- 1950年(昭和25年)
-
保坂校長退任、佐藤秀三郎・第10代校長に就任(1/31)
校名を「神奈川県立横浜平沼高等学校」と改称。新学則制定(4/1)
関連リンク:「平沼」の由来/山口精一(52期)
男女共学小学区制による1回生入学。新入生440名内男子207名(4/5)家庭会をPTAと改称(4/5)
関連リンク:男女共学むかしいま/永森邦雄(50期)
創立50周年記念行事(6/3)
校歌の歌詞を一部変更し現在のものになる〔佐佐木信綱氏に依頼〕(6/3)
関連リンク:花橘52号 連載(4) 瀧井敬子さん(62期)東京藝大助手、音楽評論家
関連リンク:校歌をどう思う/馬場 昇(50期) 母校百周年記念誌より
第1回校内弁論大会(11/21)
「花橘」復刊第1号発刊〔創立50周年記念号〕〔12/30)
陸上部復活、野球・バドミントン・ソフトボール部創部1950年:朝鮮戦争勃発
- 1949年(昭和24年)
-
第46回卒業証書授与式〔旧制最終・高校第1回。新制高女卒業生総数:6201名〕(3月)
中原校長退任、保坂周助・第9代校長に就任(4/15)県立横浜幼稚園を併設(4月)
選択制開始〔講座ごとに生徒が毎時間移動〕(4月)
特別活動〔ホームルーム、生徒集会、クラブ活動〕の時間が正課となる(4月)
本校職員定員32名と決まる(5/1)
ララ物資配給〔ノート、ズック靴〕(5/23)
国体出場:バレーボール部、体操部、水泳部、卓球部(10月)県音楽コンクール・合唱第1位(11/20)
県立第二高等学校火災見舞金〔1人10円以上〕募金、校舎一部貸与(12/13)
この年、卓球・県下高校大会優勝
バレーボール部・全日本予選優勝 - 1948年(昭和23年)
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通信教育部を併置(1月)
第45回卒業証書授与式。62名は新制高校3年に進級し翌年卒業(3月)
6・3・3制に伴い、校名を「神奈川県立横浜第一女子高等学校」と改称。3年生は同併設中学校生徒となる(4月)CIE(総司令部民間情報教育局)の指導により週5日制が始まる
生徒自治会第1回総会(5/4)
通信教育部開講。入学定員:中・高合計200名(6月)
「第一女子高校時報」発刊(7/1)
学校キャンプが復活〔箱根仙石原〕(7月)
国体出場:水泳女子(9/18)
毎日コンクールピアノ部門で出場した女子・東日本1位(9/27)
国体出場:バレーボール部、ハンドボール部、水泳部、卓球部、体操部(10月)音楽部が県下高校で優勝(10月)
第2回全国作文コンクール・女子2名入選(10月)
県下作文コンクール・中学・高校1、2、3位独占(10月)
県英語コンテスト・女子1位(10/30) - 1947年(昭和22年)
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第一高女自治会規約制定
学制改革による新制中学の発足に伴い、2・3年生は「神奈川県立横浜第一高等女学校併設中学校生徒」となる(4月)
新入生の募集は’47年~’49年度無し(4月)
ホームルーム制始まる(4月)
県下女子バスケットボール大会・優勝(5/25)
遠足、学年別に実施(6/17)
ララ物資を配給。*ララ物資:アジア救済連盟の戦略物資のこと
芸能祭(7/16)
2学期始業式(8/26)
級代表による夏季休暇体験発表会(9/1)
生徒自治会が発足〔旧校友会〕(9/1)生徒自治会役員模擬選挙(9/17)
家庭会(PTAの前身)が発足(10月)
国体出場:バレーボール部、バスケットボール部、水泳部(10月)
生徒自治会文化部主催「アンチゴーネ」公演〔県下学生演劇の出発〕(10月)
英語芸能祭:5年生11名参加。「クリスマスキャロル」・1位(11/12)
模擬市議会に参加:男女中等学校合同で市議会場にて行う(11/20)会報部(新聞部の前身)誕生。自治会会報「真澄」第1号発行〔以降「第一女子高校時報」「平沼」「平沼時報」と名称が変更される〕(12月)
1947年:日本国憲法施行
- 1946年(昭和21年)
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第43回卒業証書授与式〔4年で卒業する生徒102名、半数は進級して5年生となる〕(3/15)
プール開き(7月)
年度途中から月・火・木・金〔9時~12時〕の授業となる。土曜日は自宅学習 - 1945年(昭和20年)
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第42回卒業証書授与式、5年生と共に4年生も繰り上げ卒業〔警戒警報発令で急遽、式は終了する〕(3/28)
学校の工場化〔教育施設を撤去、工場機械を搬入〕始まる(4月)
建物疎開のため木造校舎を取り壊す〔雨天体育場・修養道場〕(4月)
長澤校長退任、小田原中学校長・中原豊蔵、第8代目校長に就任(5/22)横浜大空襲、本館以外焼失、残存校舎は救護病院に当てられる(5/29)
3年生、松屋百貨店〔吉田橋詰〕と海軍航空技術廠支廠〔金沢文庫〕に勤労動員(6月)
4年生、石川島航空〔杉田〕に勤労奉仕(6月)
戦争終結の「玉音放送」(8/15)
授業再開(10/1)
教科書回収に関する覚書示達
高木女子商業学校に4教室貸与〔翌年7月まで〕
関連リンク:花橘52号 連載(1) 先輩セミナー2001 篠崎孝子さん(45期) 有隣堂会長「横浜大空襲」「勤労動員」
関連リンク:三木弘子さん(39期)の横浜大空襲の手記と後日談関連リンク:戦争体験談(中川小学校での講演会)/荒武千恵子(45期)
1945年:敗戦
- 1944年(昭和19年)
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専攻科を廃止(4/1)
3年生以上、住友通信工業に勤労動員(6月)
防空貯水槽兼用水練場(プール)地鎮祭〔1、2年生工事に協力〕(6/29)
秋から、2年生、森永製菓に勤労動員この年から、2年生以上は勤労動員に駆り出される
防空貯水槽兼プールが竣工するが、プールとしての使用は見送りとなる(10/18)
- 1943年(昭和18年)
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学区制が導入される(1/15)
2年生、森永製菓〔鶴見〕に勤労動員(3月)。5年生、同勤労奉仕(5月)
中等学校制度改革により修業年限を4カ年とし専攻科を置く(4/1)
テニスコートは菜園となり農作物(落花生・甘藷等)を栽培関連リンク:花橘52号 連載(1) 先輩セミナー2001 篠崎孝子さん(45期) 有隣堂会長「校庭に畑とプール」
栄勉教諭、堀順次郎教諭(ともに国語)出征し、戦死
お菓子工場での勤労動員。別の学校の生徒の中には、工場のお菓子をお腹をすかせた弟や妹に持って帰りたいと思った生徒もいたそうです。けれど、第一高女たるもの、絶対にそんなことはいたしませんとしっかり働いていたそうです。
- 1942年(昭和17年)
-
東側隣地を購入。園芸実習地・勤労作業場にあてる。
東側隣接空地を購入し校地は6933.14坪に
弓道場・テニスコート新設予定(1/2)
軍需工場への勤労動員が始まる(2月)
5年生100名、横須賀田浦の海軍工廠造兵部・軍需部に勤労動員(2/6~10)
学則改訂〔生徒定員1250名となる〕(7/7)
英語が必修からはずされ随意科目となる(9/1)
新5年生、陸軍兵器補給廠〔長津田〕に勤労動員 - 1941年(昭和16年)
- 1940年(昭和15年)
-
紀元2600年祝賀報国団行進・市主催建国祭行事に参加(2/11)
作法室に神棚を新設し天照大神を祭る(2/11))
創立40周年記念行事挙行〔学校関係物故者慰霊・勤続10年以上職員表彰〕(5/4)
農産拡充集団勤労作業として5年生が長津田で養蚕手伝い(6/15)
籠球部、県女子中等学校球技大会・優勝(6/22)
創立40周年、紀元2600年記念行事〔展覧会・体育大会・音楽会・旗行列等〕(10~11月)
県女子中等学校陸上競技大会60m・200m・200mリレーなど5種目で優勝(10月)
学級増加〔定員1250名〕
排球部、県球技大会で優勝、東亜大会で準優勝「花橘」紀元2600年奉祝・創立40周年記念号発行(12/27)〔以後休刊〕
- 1939年(昭和14年)
-
建国祭大行進に参加(2/11)
生徒の慰問文1580枚を発送(3/27)
薙刀が正課となる(4/1)
排球部、県4人制排球大会・優勝(4/29)
3年生修学旅行〔この年から香取・鹿島方面〕(5/19)
県女子中等学校球技大会で籠球第1種〔1~3年〕に優勝(6/24)
支那事変2周年行事〔戦没者遺族慰問、報国団行進など〕(7/7)夏休みが「夏季心身鍛錬期間」とされ、農家での農産拡充集団勤労作業が開始される。(8月)
農産拡充集団勤労作業として、4年生が長津田で養蚕 (8月)、3年生が菅田で収穫手伝い(10/31)
県女子中等学校陸上競技大会で次の種目に優勝:松岡圀子が60・100m、田中博子が200m、三枝浜子・小林純子が籠球投、団体籠球投〕(9/30)
近藤美代、県下武道大会で女子中等学校弓道1位(11/19)1939年:第二次世界大戦勃発
- 1938年(昭和13年)
- 1937年(昭和12年)
-
船越校長退任、横須賀高女校長・長澤恭治、第7代目校長に就任(3/31)
兵士慰問資金として職員生徒の献金を東日横浜支局に委託(7/24)
全校生徒各自の防毒マスクを作製(9/13)
全校生徒による伊勢山皇大神宮への戦勝祈願や防空練習が始まる第1回防空訓練(9/18)
石川清教諭〔理科〕出征送別式、全校生徒横浜駅まで見送る(10/21)
荒波寛一教諭〔英語〕出征送別式、全校生徒横浜駅まで見送る(10/25)(荒波教諭は翌年戦死)防毒マスクや防空訓練、ますます戦争が激しくなってきたのですね。
先生方も出征されたのですね。
国旗掲揚式〔この日から始業1時間前に国旗が掲揚される〕(10/30)
横須賀海軍病院に慰問(12/18)
1937年:日中戦争勃発
- 1936年(昭和11年)
- 1935年(昭和10年)
-
創立35周年記念式挙行・園遊会(5/5)
籠球部、県下女子球技大会・優勝(6/22)
籠球部、第8回神宮大会・準優勝(10月)
神宮水上競技大会兼全日本選手権大会決勝で、須藤光代が自由形200・400mでそれぞれ3位・4位、河村静子が背泳100m・4位(10/6)
専攻部教室落成(10/7)
県下女子中等学校体操部会で4、5年生約200名がファウストを実演(11/16)
第1回スキー旅行〔長野県菅平〕(12/25~29、‘39年まで)(戦前は37年まで)(資料により記録が異なる) - 1934年(昭和9年)
-
専攻部第1回終了式(3/15)
専攻部研究科〔修業年限1年〕を新設、本年度生徒23名(4/1)
排球部、関東女子中等学校大会・優勝(5/27)
修学旅行、4年生は日光・松島方面、3年生は静岡方面、2年生は箱根・熱海方面(6月)
籠球部、県下女子球技大会・優勝(6/18)
県女学校水上競技大会で、須藤光代が自由形50mで1位、同100m・200mで河村静子が1位、背泳50・100mおよび継泳400mで藤田芳子1位・大会新(8月)
音楽映画部にヴァイオリン研究部発足
展覧部に美術研究部・書道研究部発足 - 1933年(昭和8年)
- 1932年(昭和7年)
- 1931年(昭和6年)
- 1930年(昭和5年)
- 1929年(昭和4年)
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「天覧体操」およびマスゲームの総合練習を行う(4/19)
昭和天皇が本校に「行幸」〔9:55~10:15〕。5年生125名「天覧」マスゲームに出場(4/23)
天皇行幸記念事業実施〔記念植樹、温室建設、御座所保存、記念音楽会等(4/24~11/10)関連リンク:昭和天皇御手植えのヒマラヤ杉
新設テニスコート開き(5/25)
アルプス、大島旅行隊出発〔以後恒例化〕(7/25)
真澄会館竣工〔校庭西北側〕(11月)
真澄会主催会館落成記念音楽祭開催(11/8)当時の生徒たちは、天皇陛下が前をお通りになった時すごく緊張して、ずっとお辞儀をして頭を上げられなかったそうです。
「靴だけは見えた」という先輩が、ずっと後になってから教えてくれました。
1929年:世界恐慌始まる
- 1928年(昭和3年)
- 1927年(昭和2年)
- 1926年(大正15年)(昭和1年)
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高女入学試験〔~24、国語、算術、身体検査〕(3/23)
本校生徒定員1,000名となる(4/1)
校地南西部6坪を県警察部に貸与(6/23)
岡野公園にて運動会開催(10/15) - 1925年(大正14年)
- 1924年(大正13年)
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岡野公園で小運動会開催(2/18)
第21回卒業証書授与式〔安河内知事臨席、高女5年生の第1回〕(3/24)
同窓会を「真澄会」と改称する(4/1)
修学旅行〔高女5年生再び日光〕(5/15)
放課後ベースボール、バレーボール、バスケットボール大会開催(6/21、6/28)
第7回体育奨励会〔岡野公園〕(10/24) - 1923年(大正12年)
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第20回補習科修了証書授与式〔最終〕。(3/24)
高女規則改訂〔生徒定員750名に〕(3/30)
関東大震災で本館、理化室を除き全部倒壊、付属小学校焼失(在籍721名中死亡22名・退学18名・転学91名・調査不能8名、在籍582名)(9/1)
第1回生徒招集、女師・高女466名登校(10/1)
職員、受持ち生徒の代表者を引率し死亡生徒の弔問に赴く(10/22)
第3回生徒招集、社会奉仕部よりパンを配給、羅災生徒には下着を配付(10/31)
仮校舎概ね完成、生徒有志登校し、開校準備に当たる(11/10)
高女開校式、13日から授業開始(11/12)
寄宿舎完成、生徒入舎(11/17)
補欠入学試験〔在籍721名中死亡22名、退学18名、転学91名、調査不能8名、在籍582名〕(11/23)
寄贈品・慰問品に対し生徒から礼状発送(11/27)
補欠入学者入学式(11/30)
震災追悼会(12/23) - 1922年(大正11年)
- 1921年(大正10年)
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高女規則改訂〔修業年限4年を5年とする〕(3/29)
時の記念日講演。正午を期して電鈴使用開始(6/10)
第20回学芸奨励会、午後雨天体操場にて慈善市を開催(6/25)
岡野欣之助氏を招待し、侍従派遣について祝賀会を開き、記念帳を贈呈し賀意を表す(11/22) - 1920年(大正9年)
- 1919年(大正8年)
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高女規則改訂(3/14)
校友会会則改訂(4/24)
長者町大火。類焼の生徒13名、近火者49名に寄宿舎から炊き出し(4/28)
開校記念式。大火のため恒例の運動会は中止(5/5)
有志に水泳実習。体育会の水泳場で練習(7/15)、24日水泳進級証書授与 - 1918年(大正7年)
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高女4年生・補習科父母懇談会開催(2/17)
高女生徒定員を600名に改める(3/29)
文部省督学官、東京女高師教授、東京高師教授ら物理化学科を視察(11/14) - 1917年(大正6年)
- 1916年(大正5年)
- 1915年(大正4年)
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高女規定改訂〔生徒定員550名〕(2/2)
第1回新入生歓迎会を実施(4/10)
体格検査始まる〔以後定例化〕(4/19)
開校記念式・第1回体育奨励会〔以後定例化〕(5/5)
寄宿舎柔道場完成(6/14)
理科実験室30坪、同機械室16坪、裁縫室46坪、廊下8坪を増築(8/31)
生徒制服〔矢絣模様元禄袖〕制定(11/10) - 1914年(大正3年)
- 1913年(大正2年)
- 1912年(明治45年)
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神奈川県立高等女学校同窓会規則制定(3/29)
心身修養講話会を開催(7/18) - 1912年(大正1年)7/21~
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明治天皇「奉悼」式(8/1)
「御大葬」につき遥拝式。本日から3週間授業休止(9/13)
本日から雨天体育館で朝礼実施(10/1) - 1911年(明治44年)
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第9回高女卒業証書授与式、第8回修業証書授与式、第1回女子師範学校卒業証書授与式(3/28)
藤棚建設(3/30)
第10回開校記念式(5/5)
卒業生より新原校長就任10周年を祝い、金時計、メダル付金鎖を贈呈(5/5)
病人多いため寄宿舎に看護婦を雇い入れる(6/4)
インフルエンザ猖獗のため本日より1週間授業休止、寄宿舎生全員帰宅(6/9)
朝礼を開始(9/12) - 1910年(明治43年)
- 1909年(明治42年)
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本年度建築工事竣工〔女子師範学校寄宿舎など〕((3/30)
文部省視察委員永井道明、体育教授視察のため来校(7/1)
横浜開港50周年記念会開催(7/1)
生徒の家庭および個性調査実施(11/25) - 1908年(明治41年)
- 1907年(明治40年)
- 1906年(明治39年)
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第4回卒業証書授与式(3/28)
補欠授業規定制定(4月) - 1905年(明治38年)
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補習科の教科改訂〔歴史科を加え、外国語は随意とする〕(4/1)
春季遠足開始〔杉田、以後恒例化〕(5/12) - 1904年(明治37年)
- 1903年(明治36年)
- 1902年(明治35年)
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岡野欣之助氏本校寄宿舎南寮を寄付(2/4)、4月より志願者を寄宿させる
本年度建築工事落成〔東側校舎、生徒控所、雨天体操場、舎監住宅など〕(2/24)
師範学校女子講習科を付設(4/15)
第1回女子講習科修了証書授与式(12/13)
3年計画の建築工事完了〔講堂、寄宿舎寮、食堂、病室、診療室など〕(12月)参考資料:初代校舎平面図
- 1901年(明治34年)
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愛知県師範学校長・新原俊秀、初代校長に就任(2/9)
関連リンク:初代校長・新原俊秀先生/真澄会会長(当時) 山口精一(52期)
校舎一部完成(校長室、教員室、普通教室、特別教室、事務室など)(3月)
教員服務心得、職員会規定、生徒服装規定などを制定(4/4)
当時の女学生の服装は、地味な着物や袴姿で、動きやすいように短い「筒袖」だったそうです。当時「筒袖」は男の人が着るもので、生徒たちは誠に恥ずかしかったという記録があります。また、女子が上級学校へ進んで学問をするだけでも特別な目で見られる時代、女性は控え目で慎ましくと願う親たちにとって、「男勝り」の制服は心配の種だったそうです。
3年生の入学試験を横浜商業学校で実施(4/7)
職員服装規定を制定(4/9)
神奈川県高等女学校規則を制定(4/13)
2年生の入学試験を本校内で実施(4/14)
1年生および技芸専修科1年生の入学試験を本校内で実施(4/21)
第1回入学式〔職員14名、生徒178名〕(5/1)開校式を挙行。この日を開校記念日に制定(5/5)
「神奈川県立高等女学校」と改称、同日授業開始(5/7)
体育教師が初めてカドリールを踊る(5/13)第1回学芸奨励会を行う(5/28)
関連リンク:学校ダンス「ファウスト」と横浜平沼高校/総括教諭(当時) 石郷岡 真
第1回秋季遠足〔鎌倉、以後恒例化〕(10/29)
高等女学校で英語を必須とする:全国初 - 1900年(明治33年)
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「神奈川県高等女学校」の設立が認可される(10/10)橘樹郡保土ヶ谷町岡野新田の敷地3000坪、岡野欣之助氏寄贈
関連リンク:恩人・岡野欣之助氏と「平沼高校」/真澄会会長(当時) 山口精一(52期)
3000坪を選定して校舎新築を起工(11月)