関東大震災
関東大震災
1923(大正12)年9月1日、関東一帯を襲った大地震で、本校の校舎も壊滅的な打撃を受けた。本館は一部を除いて倒壊、1910(明治43)年以来併設されていた付属小学校の校舎は焼失した。当時は2学期の牒が9月6日からであったために学校は夏休み中であったが、教師2名、生徒25名が亡くなり、18名の生徒が退学、91名が転学を余儀なくされた。
倒壊した校舎の跡地に建てられた臓校舎で授業が再開されたのは11月13日のことだった。
考へまいと思っても、震災前は英語をしようとすれば英語の本があるし、数学でも国語でもしようとすればどれとして不自由な事はなかったに、等と、だんだん思ひつめて終には涙がぽほをぬらす様になってしまった。(当時の1年生・『花橘』震災記念号)
ザアーッと雨がトタン屋根にはげしくはねかへす様になりますと、もう講義の御声も聞えず先生も私達も顔を見合せて雨のふり方を眺めてしまひます.すると急にボール紙の様な天井に水が輪取るのに気がつきます。又雨もりが始まったのに気がつき、バケツをつかったり、机を動かしたりさわぎます。
(28期・卒業生『花橘』紀元二千六百年奉祝、創立四十周年記念号)
天井と腰板はボール紙、床板は節穴だらけという劣悪な環境の中で、全国の女学校や卒業生から贈られた教科書を使っての授業が続けられた。
しかし、これをきっかけに1907(明治40)年以来併設されていた女子師範学校の分離や、近代的設備を誇る新校舎の建設が実現することになった。
この震災は大きな被害をもたらしただけでなく、混乱の中で、横浜を起点としてさまざまなデマが流布された。そのため、それによる数々の悲劇をも生んだ。『花橘』震災記念号に収められた生徒の文章にも、そのデマの広がりぶりが記されている。