自由でおおらかな校風と様々な行事

自由でおおらかな校風と様々な行事

「第一高女」と改称されたころ、全国的に中等学校に進学を希望する者が増大した。その中で本校は
名門校としての地位を維持した。
かくて当時は県下に誇る最大最優の学校であった。しかも生徒は県下各地から志望し、激烈な競争の
後に入学して来た俊秀をあつめていたから、その千余名は殆ど珠玉のみで、才媛雲集の自覚ましい
壮観を呈した。(旧職員・松隈義勇『花橘』復刊第1号)
厳しい学業が課されただけでなく、一方では様々な行事や生徒の活動が展開され、現在に続く「自由
でおおらかな校風」が育まれていった。

全体としては、極めて穏健・中庸な学校の方針の下で、地道にいろいろな力をつけて頂いたような気がします。(中略)まだ大正デモクラシーの余韻というか、私共の在学中は、世間にもかなり自由な空気があって、教育の上にも、いろいろ新しい試みが行われていたように記憶します。(33期・虎岩信江『70周年記念誌』)

2022年06月17日